令和5年第3回(9月議会)の一般質問で災害に強いまちづくりについて質問しました。その時の答弁とその後に取材した情報を含め再構成してお届けします。ここのところ、武蔵村山の資源を如何に有効に使うかということを念頭に置いた質問です。
☆関東大震災から100年 災害に強いまちづくり
関東大震災から今年100年を迎えました。100年前ですから当時とは環境が全く変わっています。木造の家で火を使っていた100年前、今は燃えにくい素材で家を作り、リアルな火を使っていても、安全装置が働いて揺れれば消えるようになっています。伝える方法はどうか?当時は新聞…、ラジオは大正14年の放送開始でしたから関東大震災の2年後。スマホ、防災行政無線も昔は当然ありませんでした。情報がない中で不安な日々が続いたのは容易に想像できます。そして水。井戸水や川の水を使っていましたが、今は水道。我々は関東大震災から、この数十年でも阪神淡路大震災や東日本大震災からも多くのことを学びました。100年たった関東大震災から何を学ぶか?やはり「備え」、「今ある資源を有効に使うこと」です。そこで、市内には3か所の災害時給水ステーションがあります。応急給水槽や配水所がある場所ですが、災害時の配水方法と動線確保について伺いました。
(市長答弁)
震災時の応急給水方法については、各給水拠点や避難所に市職員や給水援助ボランティアを配置し、給水を行う。また、市民等は自ら容器を持参し、給水拠点等に出向き、給水を受けることとしている。次に、各災害時給水ステーションへの動線確保については、学園配水所及び中原給水施設は平地であり周囲の道路も比較的広いため、車両での来場も問題がないものと考えている。また、中藤配水所につきましては、丘陵地に所在しており、配水所に向かう道路が狭あいであるため、車両のすれ違いが困難であることから、交通誘導員の配置などの対応が必要であると考えている。
令和5年の防災白書で関東大震災が特集されていました。ぜひ、こちらもご覧ください。さて、中原の給水ステーションは中原公園、学園の給水ステーションは三本榎の近くにある緑色の大きなタンクなので、目の前まで車で乗り付けることができます。では、中藤の給水ステーションはどうか?配水所まで繋がっている市道は3本。
現在、事実上使えるのは青梅街道の水道事務所南交差点を北に向かう主要市道第40号線のみで、市も配布についてはこの道路を想定しています。しかしながら、青梅街道から中藤配水所までの当該路線では車両のすれ違いが困難な個所があり、効率的な配布は可能か?となると疑問ですし、市長も交通誘導員の配置を考えているということでした。 給水の動線を分散できるように、他の市道(一般市道A第56号線と一般市道A第109号線、もしくは一般市道A第21号線)も考えてみましたが、車での通り抜けがしにくい状況であること、もう一方は急勾配の山道であることや非常に狭いため車が通れるように整備するのは困難なようです。市道にはなっていますが、事実上整備は難しい状況です。であれば…主要市道第40号線ということになります。主要市道第40号は道路の両サイドの側溝が蓋で覆われていて、一部はかなりボロボロであることについて、市も「側溝については、劣化が生じていることは認識しており、破損部分の修繕を図り、維持管理に努めてまいりたい」と答弁しています。災害に強い路盤が整備されていなかったら、いざという時に使えません。関東大震災から100年。せっかくある施設をしっかり使えるように、災害時給水ステーションとして機能するように整備を要望しています。
令和5年版の防災白書が発行されました。
関東大震災から100年の節目に、災害対策の充実・強化の経緯や環境変化を振り返り、今後に活かすことが大切、として関東大震災を振り返る特集から始まっています。312頁ありますが、章ごとにまとめられているので、ぜひご覧ください!https://t.co/sqbrXHllVO pic.twitter.com/b7GUpbz5Fs
— 波多野健【はたの けん】武蔵村山市議会議員/防災士 (@ken_hatano) June 20, 2023
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