50年あれこれ
今年、武蔵村山市は市政施行50年を迎えます。11月3日には記念式典が開催されることになっています。村山町から武蔵村山市になった時に当時の町民・市民の皆さんは50年後の発展をどのように描いたのでしょうか?町の変容や社会状況、モノレール、イオンモール…50年後の市政施行100年の時に誇れる「いま」にしていきたいと考えています。
(あれ、ラジオの話じゃないの?と思った方、少々お付き合いください)
同じくして今年、民放FM局のTOKYO FMが開局50周年を迎え、先日も開局記念の特別番組もやっていました。中学から大学院時代に聞いていた番組の当時の音声やジングルも放送されていて、当時の記憶と甘酸っぱい思い出とラジオへの憧れ、当時あれやこれや多くの情報をラジオから得ていたこと、そして私自身、約10年前にニュースデスク・ニュースアナとして半蔵門にあるTOKYO FMのスタジオにいたことを昨日のように覚えています。10年前ですから「40th」の年ですね。もちろん市議会議員になる前の話です。
その民間FM放送が始まって50年の今年、6月30日に新潟の放送局、新潟県民エフエム放送(愛称 fmport)が閉局しました。2000年12月に開局し20年弱での閉局には驚きもありましたが、fmportのほか名古屋のRadio NEOも同じ日に閉局しているため、ラジオ局を取り巻く経営環境は年々厳しくなっていることも容易に想像できます。fmportの開局以前、新潟には県域ラジオ局がFM・AM合わせて3局ありました。言わずとも誰もが知ってるNHK、テレビとラジオを持つBSN、TOKYO FMをキーステーションとするJFN(ジャパン・エフエム・ネットワーク)の一つFM-NIIGATA、そして新たに加わったネットワークを持たない独立局fmportです。うち、FM局は、NHK、FM-NIIGATA、fmportの3つ。独立局は24時間、自社で番組を作らなければらなないので、必然とネットワークを持つ局に比べて番組制作費が多くなります。最終的に債務超過は約2億2000万円とも言われているので、独立局の経営の難しさが現れています。ちなみに私が局アナをしていたのFM-NIIGATAです。
20年前の話ですが、東京にある報道情報系CS局のアナウンサーをしているとき、開局準備中のfmportに取材したことを記憶しています。ラジオにとても興味を持って情報収集してたんです。当時、3局以上のFM局が共存するのは札幌や東京、名古屋、大阪など大都市部に限られていました。民放局のビジネスモデルは今も昔も大きくは変わらない一方、人口減少社会が進む中、人口250万人(現在は222万人)の新潟で新しい放送文化を作り出すのは、容易ではなかったのかもしれません。
その状況の中でも20年間、新潟の放送文化の一翼を担ったナビゲーターやスタッフの皆さんに頭の下がる思いです。お疲れ様でした。放送局があったことは新潟県民のリスナーの心には必ず残っているはずです。にしても、放送局が閉局するということは、非常に寂しいことですし、防災の観点からも無視はできないな、という思いです。ということで、やっと本題です。
「ラジオが聞ける機械を持っていますか?」
今回の本題はこちらでした。ラジオってどうやって聞くの?という問いを受けることがあります。TOKYO-FM・FM-NIIGATAなどラジオ局でアナウンサーとしてニュースからエンタテインメントまで幅広く担当していた私としては、「うーん」と考え込んでしまうことがありますが、ラジオの聞き方を知らない方が少なからずいるんです。「自宅にラジオはある?」と聞くと、考えてから、「ない」という答えが返ってきます。「ラジオを聴くのは車の中だけ」という方もいます。車の中ならば、くるくるニューニングつまみを回さなくても、液晶をタッチするだけで周波数を知らなくても聴けるんですよね。最近では
スマホで聴けるradikoやNHKの「らじる」というアプリもあります。radikoは月に400円程度支払えば、全国のAM・FM局、短波も聞くことができて、時には方言も混ざった地方色豊かなパーソナリティやナビゲーターの生き生きしたトークを聴き、その土地の美味しいものやお店のの紹介にお腹を空かせることができるんです。radikoの出現によって、ラジオの聞き方の幅が広がったのは間違いありません。コロナ禍でradikoの4月の聴取者が2月に比べて20%以上増加したことが明らかになりました。報道によりますと外出自粛に伴って在宅勤務が一般化したことが理由としています。情報を得ながら仕事をしていた状況が目に浮かびますね。
YouTubeやニコニコ動画などの競争相手も広がりました。電波の中ではテレビ、スマホの中ではYouTube。競争相手が多くなれば多くなるほど、番組は面白くなってくるのではないか?と思ってます→ラジオスタッフな皆さん。
では、ラジオの強みは何か?情報量で言えば1対多数のテレビ、個人的でミニマムな情報はYouTube、他にもTwitterやfacebookなどのSNSでしょう。一番の強みは、喋り手とリスナーの近さだと思っています。例えば、「あなたからのメッセージをお待ちしています。メールは…」など、ラジオは1対1。テレビは「みなさん」、ラジオは「あなた」と呼びかけます。この表現でパーソナリティとリスナーの近さが分かります。
ラジオの聴取率は年々下がっています。いちアナウンサーとしてもとても残念ですが、全体的な傾向としてラジオの存在感が下がっていることは間違いありません。ただ、存在感が上がる時があります。そう、災害時です。「災害発生時=ラジオ」は情報を得る手段として認知されています。ラジオ局側も、災害時に確実で有用な情報を届けられるように、普段から情報源などとの連絡を取り、情報交換を続けています。防災士の資格を取っている局アナもいるほどです。
先ほどradiko聴取者の動向を書きましたが、今回の新型コロナウイルス感染症の感染が拡大時期にはどうだったのでしょうか?ラジオの聴取率調査などを行っているビデオリサーチによりますと、緊急事態宣言に伴う外出自粛により、自宅を中心とした生活やリモートワークといった環境の変化で、ラジオにもその影響があり、新たな環境下でラジオリスナーが増加したということです。何かあったときのラジオ という意識がさらに定着してきそうです。
災害と停電とラジオ
ここ数年の災害を振り返ってみると、平成30年、北海道厚真町で震度7を記録した北海道胆振東部地震では、ブラックアウトにより北海道全域で最大約295万戸が停電し、携帯電話などの通信も遮断されました。令和元年9月には台風15号・19号が関東地方に接近し、千葉県内で長期間の停電、停電による断水、通信遮断とこちらも大きな被害が報道されました。注目したいのは「停電」です。状況にもより、すぐに回復する時と、台風15号の時の千葉市のように3週間(千葉市調べ)も停電が続くことがあります。停電になったら…自分が持っているスマホの電池がなくなる一方です。情報を得たり連絡を取るためにも、少しでも電池を温存したい、でも、情報は必要…となるわけです。ネットにある情報の収集はスマホやパソコンにしかできませんが、ラジオはラジオ受信機があればスマホの電池に負荷を与えなくても済んじゃいます。あ、停電。携帯が充電できない。情報が何にもわからない。どうしよう。そんな時こそ、ラジオ。いざという時に備え、電池で聴けるラジオを用意してはいかがでしょうか?
私はこんな基準でラジオを選んでいます。
- ラジオ専用機であること。
- 感度が良いこと。
- 出来るだけ大きいスピーカーを内蔵していること。
- 単三電池で動くこと。
- 普段使いできること。
感度はネットで情報収集してみてくださいね。スピーカは情報収集が目的なので大きい方が良いですよね。単三電池としたのは、最近は充電式の電池が充実しているから。充電式電池の主流は単三電池で、単二電池や単一電池だとスペーサーを使わなければならないので、単三電池が良いのではないかと。いざとなればテレビのリモコンやエアコンのリモコン、自宅の中には単三電池は転がってます。こんなことを基準に考えてみるいいかもしれません。そして、手に入れたら必ず自宅の中で感度チェックをしてみてください。家の中でも雑音だらけで入りづらいところがあります。もちろん窓側が良いので、なるべく窓側。ただ、暴風雨になって危険だなと感じるようなところでないところが良いですね。ラジオを持って自宅の中をウロウロしてみてください。ここなら確実に入るという場所を覚えておくと良いでしょう。いざ、停電となっても確実に受信できるようになります。非常時にいざ使おうと思うと使えないので、インテリアとして普段からリビングや寝室に置いてください。えっと、ここまで書いていうのも何なんですが、写真に出ているラジオは単2電池を使っています。使っているからこそ単三が使えるのが良いのではないか…という提案です。もちろん、単三電池が使えるラジオも買いました。
あれ?チャンネルを知らない…正確にいうと「周波数」ですが、分からないという方は、総務省のウェブをご覧ください。https://www.soumu.go.jp/soutsu/kanto/bc/radio/list/index.html
ラジオを聴くのは生活習慣なので聴き始めると心地よくなってきます。テレビも大事な情報源ですが、ラジオも情報源として取り入れてみてはいかがでしょうか?
- 中学校でラジオ受信機作成授業
- 「made in japan」のラジオ受信機は?
今後もラジオに注目してブログを書いていきたいと思っています。
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