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市のシンボル、三本榎を後世に残すために〜6月の一般質問〜

市のシンボル、三本榎を後世に残すために〜6月の一般質問〜

武蔵村山市のシンボル、三本榎を後世に残すために、現状把握そして今やらなければならないことを認識することが不可欠です。昨年6月、強風により乙幡榎の半分が折れてしまい、その衰えが著しくなってきました。教育委員会は今後、次世代乙幡榎の育成を含め考えていくことになりました。

(質問)

市のシンボル、三本榎についてです。三本榎もしくは榎は、町名や交差点、バス停の名前、第九小学校の校章デザインや校歌にも採用され、住民生活や子供たちの学校生活の中にまでしっかりと根づいています。これが文化なのかな〜と思うわけですけど、遡れば伝承があること、一里塚であったことなどがその所以です。

その三本榎の一つ、乙幡榎が昨年6月、強風でその半分が折れてしまいました。かわいそうと思うと同時にこの後どうするのか?という気持ちになった市民も多いことでしょう。百年以上の長きにわたり往来する人々と歴史を見守り続けてきた三本榎は市の史跡にも指定され、市民からも愛されています。三本榎の今後について伺いました。

2015年8月の乙幡榎

2015年8月の乙幡榎

<教育長答弁>

三本榎については、東から順に奥住榎、加藤榎、乙幡榎と名付けられており、地域固有の伝説や昔話があり、広く市民に親しまれている。市教育委員会では、昭和51年4月に市指定史跡として指定し、市の貴重な文化財として保護してきた。しかし、平成28年6月2日の強風により乙幡榎が主幹部を大きく折損した。その際、市文化財保護審議会等のご意見を伺い、危険防止及び樹木の保護のため、緊急に太枝の伐採と切断面の被覆措置を講じた。三本榎については、今後も市文化財保護審議会や樹木の専門家のご意見等を伺いながら、適切な保護措置を講じていく。

(まとめ)

2017年7月の乙幡榎

2017年7月の乙幡榎

横に広く枝が伸び、葉が生い茂る榎の下は、その昔、旅人の格好の休憩場となり、目印になっていたことでしょう。現在でも広場になっていて、日差しが厳しい夏を中心に市民の憩いの場になっています。今後もぜひ、答弁通り適切な保護措置をしていただきたいと考えています。

しかしながら、三本榎、それぞれの樹齢は推定で加藤榎30年、奥住榎100年、今回折れてしまった乙幡榎は200年と高樹齢です。できるだけ長く後世に伝えていくことが文化財保護の趣旨である一方で、榎は植物であるためにいつかは枯れてしまうのは間違いありません。また、今回質問するにあたって調査をする中で、文化財としての三本榎は、盛り上がった「塚」の上に「榎」があることが条件となっていることがわかりました。つまり、塚と榎はセットでなければなりません。文化財としても市のシンボルとしても、乙幡榎の樹齢を考慮すると、次世代の育成を始めなければならない時期にきています。企業で言えば事業継承、生き物で言えば子育てです。

乙幡榎を含む三本榎を後世に残すには今、何をするのかがとても大切です。現状を見守りながら、次世代について取り組みをすすめるよう要望しました。

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